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婦人画報2月号に当社掲載
2012/12/30(Sun)
年の瀬も押し迫った30日です。
今日も助勤の巫女さんによる舞の練習や頒布品の確認作業が行われております。

さて、今月はじめ女優の真野響子さんが大野湊神社に来社され、
境内にある能舞台で『婦人画報2月号』の写真撮影をされました。



雨の降りしきる中来社され、当社控室でメイクをされた真野さんは、
写真の通り素敵なお着物で能舞台へ。

大野湊神社の神事能は慶長9年(1604)加賀藩2代藩主前田利長が関が原の合戦勝利を記念し、
大野湊神社のご神前で神事能を演じさせたことが始まりですが、
それ以前より初代藩主前田利家が一向一揆で荒廃していた当社を再興された際に、
舞楽が神事能として復活した経緯もあります。

歴史都市・金沢は古くから謡や舞が盛んな地域であり、
大野湊神社の神事能は400年以上続く伝統ある神事となっております。

shikishi.jpg

ミーハーなのでしっかりサインも頂戴しました♪


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神宮大麻とは
2012/11/06(Tue)
前回、「神宮大麻についてご説明します」と述べたので、
今回は『神宮大麻』(じんぐうたいま)について紹介します。
P1070321.jpg

なお、この記事は以前掲載した「神宮大麻とは??」をもとに記載しております。

『神宮大麻・暦についてのQ&A』(神社本庁発行)を参考にさせてもらっています。

まず神宮大麻を「神宮」と「大麻」に分けて考えていきます。


Q 「神宮」ってなに?

A 皇室の御祖神(みおやがみ)さま、日本人の大御祖神さま、
  総氏神さまとして尊ばれる神様を祀るお社の総称です。

全国各地に「神宮」と称される神社は数多くあります。
例えば明治神宮(東京)、香取神宮(千葉)、鹿島神宮(茨城)、宮崎神宮(宮崎)など。
その中で「伊勢神宮」(三重)という社名を聞いた事がありますか?
平成25年に式年遷宮という20年に1度の大祭を行うこの伊勢神宮は、
正式名はズバリ「神宮」と称します。


「伊勢神宮」と呼ぶのは通称、俗称なのです。

ほかの「○○神宮」が祭神名であったり、地名を冠に有するものと違い、
伊勢の神宮は「神宮」というずばりそのものの名を有しています。
この時点で、ほかの神社、○○神宮とは位を別のものにする気がしませんか?

神宮は正式名ではありますが、実は125社の神社の集合体としての名称でもあります。
神宮は「内宮」(ないくう)と「外宮」(げくう)で構成されています。
内宮の中心は天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る皇大神宮(こうたいじんぐう)、
外宮の中心は豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る豊受大神宮です。
このうち、天照大御神は皇室の御祖神(ご先祖神)であり、
皇大神宮にお祀りされているのは皇位継承にかかわる三種の神器の一つ、
「八咫御鏡」(やたのみかがみ)です。
御創建も第10代崇神天皇の御代、第11代垂仁天皇の御代に現在の地に創建されました。

つまり、

神宮とは皇室とも大変所縁の深い、日本全国の神社の中心であるとともに、
各神社を崇敬される氏子崇敬者にとっても総氏神として尊ばれる御社です。


Q 「大麻」ってなに?

A 「正直」「清浄」を尊ぶ信仰から生まれたことばです。

そもそも伊勢の神宮のお神札がいつごろから配布されていたかを考えると、
平安時代末期より神宮の御師(おんし)と呼ばれる人々が、祈祷した「御祓」を配布していたことが由来のようです。
御師たちは家々を巡り、祈祷を行い、祈祷の証として「御祓」を配っておりましたが、
のちにこの「御祓」を受け、これをお祀りすることで伊勢の神宮を遥拝するかたちとなりました。
明治5年より現在の「神宮大麻」として神宮司庁(神宮の諸事務を司る庁)より
全国の家庭に頒布されるようになりました。
これは明治天皇の聖旨によるものです。
現在では神社本庁包括下神社において、各県神社を通じて神職や氏子総代をはじめとした
神社関係者の協力のもと、全国の家庭のみならず店舗・会社に広く頒布(配布)されています。

なお、「大麻」は「たいま」と呼びますが、薬物の大麻とは全く違います。
もともとは「おおぬさ」と呼び、

「大」=麻に対する尊称と美称の意
「麻」=神様への捧げ物である幣帛の意。お祓いの際に罪穢を贖うために差し出す贖物の意
と考えられています。

このあたりが大変誤解されるところです。
一般に「大麻」とは「マリファナ」のことであり、それを配り歩くとはどんな悪の組織だと・・・
神社界では以前より「大麻取締法」を「マリファナ等取締法」に名称変更するよう請願しているようです。
ですが一番大切なことは法律名を変えることではなく、

「神宮大麻とは何であるか」

これを皆さんに説明することが、神職一人一人に課された使命だと思います。

神宮大麻を受けてお祀りする意義として、
全国の人々の心がお伊勢さん(神宮)と結び合わされ、日々、天照大御神さまの恩頼を戴いて安じて生活をいそしみ、日本人としての自覚に満ちた家庭を築いていくこととなります。
皆さんも神宮大麻を受けてご家庭でお祀りしてください。

神宮大麻、大野湊神社神符、神棚のお祀り方法などは
大野湊神社までお問い合わせください(076-267-0522)


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神社とお盆
2012/08/13(Mon)
オリンピックが閉会しました。
出場したすべての日本人選手、関係者に感謝と御礼を申し上げます。

さて、お盆の時期となりました。
よく「神社とお盆は関係ないんですよね?」と言われます。



これは凄く大切な質問だと思いますので、考えを述べたいと思います。

「お盆」とはそもそも「盂蘭盆会」(うらぼんえ)という仏教行事のことを指すと思います。
「盂蘭盆会」とは「地獄の苦しみをうけている人々をこの世から供養することの功徳によって、
その苦しみを救いたいという行事」ということらしいです。

もちろん「ご先祖様が地獄で苦しんでいるから、供養して救いたい」と思ってお盆行事をされる方もいらっしゃるとおもいますが、同時に、

「ご先祖様、いつも守ってくれてありがとう」

と感謝の気持ちをもってお墓参りされる方も多いと思います。

ご先祖様に感謝し奉ることを神社では「祖先崇拝」といいます。

日本のお盆行事は本来の盂蘭盆会が日本独自の信仰・風習と結びつき、現在の形になってのでしょう。

神社新報社発行「神道いろは」ではこう紹介されています。



お盆については、多くの方が仏教の行事と考えているようですが、元来は日本固有の先祖祀りがもとになっています。
ところが、江戸時代に入り、幕府が檀家制度により、庶民の祖先供養まで仏式でおこなうよう強制したため、お盆も仏教の行事と誤解され、現在に至っているのです。

神道の家庭でも、お盆の期間中は、自宅の祖霊舎を清めて、季節の物などをお供えし、家族揃ってご先祖様をお祀りします。
我が国では、古くから神祀りとともに、ご先祖様の御霊をお祀りする祖霊祭祀がおこなわれ、神と祖霊の加護により平安な生活を過ごしてきました。この神とは、自らと繋がりのあるご先祖様が徐々に昇華して神となったご存在なのです。

(中略)

仏教が伝来すると、盂蘭盆会の行事が諸寺院でおこなわれるようになり、当初は僧侶の供養が中心でしたが、その後、我が国の祖霊祭祀と結びついて、ご先祖様を祀る「お盆」となりました。



ちなみに現在生きる我々にどれだけのご先祖様がいるかと考えてみると、

1世代前 2人(両親。まだご健在の方はすみません)
2世代前 4人(祖父母。まだご健在の方はすみません)
3世代前 8人(曽祖父母。まだご健在の方はすみません)
4世代前 16人
5 〃  32人

10世代前  1,024人

20世代前  1,048,576人

30世代前  1,073,741,824人

・・・凄いですね。
この1,073,741,824人のうち、1人でもいなければ今の自分はいないことになります。
そしてこんなに多くのご先祖様が今の私たちを見守ってくれているのです。

お盆にはご先祖様への感謝の気持ちをさらに強くしましょう。


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かなざわ・まち博2012
2012/08/10(Fri)
すっかり遅くなりました。
大野湊神社は「かなざわ・まち博2012」に参加しており、
今年は文化財に指定された夏季大祭の説明とお神輿や行列についてお話しました。



大変暑い中、たくさんの方に仮殿まで足を運んでいただきました。

夏季大祭のはじまりは定かではありませんが、
お神輿のなかに保管されている棟札より寛永期(1624~1645)ごろにはすでに
祭礼行事が行われていたことが裏づけされています。

また、宝暦4年(1754)の「佐那武大明神御神幸行烈之次第」を見ると、
現在の行列図とほぼ同じ形が掲載されており、古くより形態を変える事無く続けられていることがわかります。

P1060750.jpg


中央が榊台、右が天照大御神、左が佐那武大神(猿田彦大神)のお神輿です。

参加された方には棟札の資料と行列図などを配布し、宮司より説明させていただきました。

解散後は近くの曳山や太鼓台を見学されたそうです。

地域に残る文化や歴史を学び、後世に伝えていくためにも今後とも諸活動に協力していきます。

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!


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百万石まつりと大野湊神社
2012/06/03(Sun)
昨日、今日と金沢市では百万石まつりが開催されています。
加賀百万石を築いた前田利家の金沢城入城を模した百万石行列をはじめ、
金沢の伝統芸能が集まったお祭りです。
金沢城周辺は交通規制がかかり、多数の露天商と人で賑わいをみせています。

金沢市中心部から少し離れたここ大野湊神社はいつもと変わらぬ静けさにつつまれています。
本日は大安の日曜日ということもあり、
早朝より地鎮祭や初宮詣、交通安全祈願などが続いています。
団体の観光の方もいらっしゃいました。

あまり有名な話ではありませんが、
百万石まつりと大野湊神社の関係についてご紹介したいと思います。


先にも触れたとおり、このおまつりは前田利家の入城が中心となっています。
そもそもは6月14日尾山神社で行われる「封国祭」という祭典にあわせ、
金沢市祭としておこなわれた奉祝行事としてはじまりました。
その後、尾山神社奉賛会に受け継がれ、現在は金沢市と金沢商工会議所が中心となって開催しています。

さて、この天正11年(1583)に金沢城に入場した前田利家ですが、
この加賀の地でまず降り立ったのが、当時北前船の重要港のひとつであった宮腰湊(現在の金石港)だとされ、
宮腰地侍・中山主計の先導で金沢城へ進みました。

一説には前田利家は宮腰湊から大野湊神社へ参拝、道中の無事を祈願し、
境内で陣を整えたと伝えられています。

P1060446.jpg

残念ながら史実を伝える資料には未だ触れていないのですが、
当時前田利家は柴田勝家軍と北ノ庄城(福井県)で戦い、そのまま加賀の国へ進軍ということですので、
船で加賀へ来たことは推察されます。
また当時重要な港であった宮腰から入ったことも、地理的に肯ける話だと思います。
これが事実であるならば、宮腰の氏神である大野湊神社に参拝した可能性は大いに高まると思います。

大野湊神社の大神さまは「みちびきの神
もしかすると前田利家を金沢城へ「みちびき」、加賀百万石の礎を「みちびいた」のかもしれません。

なお前田利家をはじめ歴代前田家当主よりたくさんの寄進も寄せられております。

そのうち、百万石行列も大野湊神社から出発する日がくるかもしれません!

※本来であればしっかりと文書などを紹介するべきところですが、
神主の推察と思いで文章が構成されております。ご容赦ください。


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